粋

毎日の椀を、風景として見る|林原美術館「うるしの風景」

十月に入って、朝の台所に立つ時間が少し長くなった。湯気の立つ汁物を、両手で包むように持つのが心地よい季節になったからかもしれない。

うちの汁椀は、ごくふつうの塗りの椀だ。特別な日のためではなく、毎日の朝に出てくる。いつからか、大事にしまい込むのをやめて、使いながら付き合っている。

岡山の林原美術館で、漆の企画展「うるしの風景 -日本の名所と花鳥の彩り-」が開かれている。公式の紹介文に、こんな一節があった。

自然素材を用いた日本独自の美意識だけでなく、使うほどに深みと艶が増す経年美を伝える唯一無二の美術品として評価されています。

——林原美術館 企画展「うるしの風景 -日本の名所と花鳥の彩り-」より

「経年美」という言葉の前で、しばらく立ち止まった。新しいものがいちばんきれいなのではなく、使った時間のほうが艶になっていく、という読み方ができるのかもしれない。私はこれまで、「きれいに保つ」ことと「大事にする」ことを、同じ意味で考えていた気がする。

紹介文は、漆工芸の魅力を「華やかな装飾」と書いている。漆黒に金銀で加飾した蒔絵、力強く繊細な彫りの彫漆、虹色に輝く螺鈿。どれも目を引く言葉だ。けれども私が惹かれたのは、その華やかさの先に「使うほどに」と続いていたことのほうだった。毎日手に取る楽しみも、同じ漆のなかにあるのかもしれない。

同じ紹介文には、展示される品々のことも書かれている。吉野山や龍田川の蒔絵棚、桜橋や浜松を題材とした硯箱、そして四季の花や蝶、鳥や獅子などを意匠とする調度品が紹介されるという。名所の風景が、棚や硯箱の意匠として扱われている。それも風景との付き合い方のひとつなのかもしれない、と想像してみる。

器にしても服にしても、私は「いつか」のために取っておく癖がある。けれども、使うほどに増すものがあるのなら、取っておく間は何も増えないことになる。それは少しもったいない気がしてきた。

実物はまだ見ていないので、展示の様子は書けない。ただ、会場に着いたら、蒔絵の細かさよりも先に、艶のほうを見てしまいそうな気がしている。

朝の味噌汁も、同じ椀で飲む。「使うほどに」という言葉を借りるなら、毎日の朝は少しずつ積もっていく時間でもある。そう思うと、いつもの椀が少しだけ違って見えた。次の朝は、椀を持つ手の感触にも目をやってみようと思う。

開催情報

出典:林原美術館 公式サイト 企画展「うるしの風景」

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