粋

文字の息遣いを聞く|泉屋博古館「金文の世界」

仕事のほとんどを、キーボードで文字を打つことに費やしている。打った文字は、書いた瞬間から整った形をしていて、誰が打っても同じ字になる。その便利さに助けられているのに、文字から体温のようなものが抜けていると感じる日がある。

手で書いた文字には、書いた日の気分や急いでいたことまでが滲む。私の字は、締切の前になると決まって右上がりになる。活字はそれを消してくれるが、読む人に届くのは整った形だけで、書いた人の様子は残らない。そのことを、便利さと引き換えにしてきたのだろうか。

京都の泉屋博古館で、青銅器に鋳込まれた文字を主題にした展示が開かれていると知った。ブロンズギャラリーのギャラリー3特集展示「金文の世界」。公式の紹介文によれば、殷周の青銅器には、当時の人々が使っていた文字が銘文として鋳込まれていることがあり、その文字を金文と呼ぶ。今の私たちが使っている漢字の、古い字形でもあるという。

紹介文のなかで、いちばん長く目が止まった一文がある。

書かれた内容を丹念に読み込むと、中国古代の人々の息遣いが聞こえてきそうなリアリティを味わうことができます。

——泉屋博古館「ブロンズギャラリー 中国青銅器の時代 ギャラリー3特集展示「金文の世界」」より https://sen-oku.or.jp/program/20260905_bronzegallery/

「息遣いが聞こえてきそう」という言い方に、少し驚いた。文字は読むものか、見るものだと思っていたからだ。聞こえるというのは、文字の向こうに、それを書かせた人がいるということなのかもしれない。

息遣いという言葉で思い出すのは、昔もらった手紙のことだ。便箋の端の書き損じや、行の傾きから、その人の机のまわりが見えるような気がした。文字が運んでいたのは、言葉の意味だけではなかったのだと思う。

公式ページの主な展示品には、《宰椃角》《彔簋》《競卣》《匽侯旨鼎》といった器の名前が並び、それぞれの銘文の図版も添えられている。《彔簋》と《競卣》の銘文には「蓋裏」と注記がある。器の形とあわせて、文字のありかを探しに行く展示なのだろうと想像している。実物は、まだ見ていない。

紹介文は、この文字の美しさが歴代の書家たちを魅了し、影響を与えてきたとも述べている。私は書家ではない。それでも、書くことを仕事にしている者として、整えられた活字ばかりを見てきた目に、紀元前十一世紀から十世紀ごろの器に残る文字がどう映るのかを知りたい。整っていることだけが文字の美しさではないのかもしれない、という予感がある。

展示が終わる前に、誰かに宛てた短い言葉を、一行だけ手で書いてみようと思う。打つのではなく、手の動きが残る文字で。書いているあいだ、自分の息が浅くなっていないかにも耳をすませてみたい。見に行くのは、その後になるだろう。

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