朝、洗ったばかりの布巾を畳んでいて、ふと手が止まった。何年も使っているこの布が、どこで、誰の手で織られたものなのか、私は何ひとつ知らない。買った店は覚えている。けれどそれより前のことは、まるごと空白のままだ。
暮らしの道具は、たいていそうやって家に入ってくる。値段と手ざわりと、そのときの気分で選んで、あとは黙って使う。由来を調べようと思ったことは、正直あまりない。知らなくても困らないからだ。
けれどこの夏、日本民藝館で始まった展覧会の案内文を読んで、その「知らないまま」に、少し違う光が当たった気がした。
戦前の那覇の古着市などで購入した、庶民の生活に根差す染織品が所蔵される一方で、王族や上級士族が対象の衣裳も含まれています。
——日本民藝館「創設90年記念 琉球王国の染織 尚家関連品と護得久家伝来品」より(日本民藝館 公式サイト)
古着市で買い集められた布の束のなかに、王族の衣裳が混ざっていた。近年の調査で、そのうち約五十点が民藝運動の協力者・水谷良一の寄贈品であり、さらにその多くが琉球王族・尚家の流れを引く護得久朝章の旧蔵であることがわかったという。三十点ほどが特定された。館が生まれて九十年、布はずっとそこにあったのに、それが誰の手にあったものかは、ついこのあいだまで空白のままだった。
不思議なのは、来歴がわからないあいだも、その布が納められ、見られ、美しいと思われてきたことだ。柳宗悦がそれを選んだとき、手がかりは布そのものしかなかったはずだ。王族のものだから、と選んだのではない。目の前の色と織りが良かったから、古着の束のなかから引き上げた。名前は、ずっとあとからついてきた。
順序が逆だったら、と思う。もし「これは王族のものです」と先に聞かされていたら、私はきっと、その布をまっすぐ見られなかった。すごいものだ、と思い込むところから始めてしまう。肩書きや値札を先に見てしまうのは、日々の買い物でも同じだ。良いと言われているから良いのだろう、と、自分の目を後回しにする。
だから、由来を知らないまま使ってきた布巾のことを、もう後ろめたく思わなくていいのかもしれない。何も知らずに手が伸びた、というのは、それはそれで確かな判断だったはずだ。知らないことと、軽んじていることは、たぶん違う。
ただ、九十年かけて名前が返ってきた布のことを思うと、少しだけ調べてみたくもなる。知ってしまえば、見え方は変わるだろう。変わることが惜しいのではない。変わる前の自分の目を、先に一度たしかめておきたいのだと思う。
今日、家にあるものをひとつ選んで、しばらく黙って眺めてみる。それから、どこで作られたものなのかを調べる。順番だけは、間違えないようにしたい。
開催情報
特別展「創設90年記念 琉球王国の染織 尚家関連品と護得久家伝来品」
会期:2026年8月22日(土)〜11月3日(火・祝)
会場:日本民藝館(東京都目黒区駒場4-3-33)
開館時間:10:00〜17:00(最終入館16:30)/毎週月曜休館
入館料:一般1,500円(団体1,300円)、大高生800円(団体700円)
記念講演会「琉球王国の染織 ―日本民藝館所蔵品から見えるもの―」講師:澤浦あかね(共立女子大学博物館学芸員)/2026年10月17日(土)18:00〜19:30/参加費500円(別途入館料が必要)/定員80名・要予約
展覧会図録『琉球王国の染織 ―尚家関連品と護得久家伝来品』2026年8月22日刊・A4変形横判・128頁・税込2,200円