暮らしのほうから決める|島根県立美術館「アーツ・アンド・クラフツとデザイン」

朝、まだ暗いうちに台所へ降りると、窓の内側がうっすら曇っていた。指で拭って外を見ると、庭の草が白っぽく光っている。今日から白露に入る。七十二候でいえば草露白。草の露が白く見えはじめる頃だと知って、たしかに今朝の光はそういう色だ、と思った。

こういう季節になると、家の中のものが少し気になってくる。夏のあいだは風を通すことばかり考えていて、布も器もろくに見ていなかった。棚には、買ったまま何年も使っていない皿がある。どうしてこれを選んだのだったか、もう思い出せない。

島根県立美術館で、2026年9月11日から「アーツ・アンド・クラフツとデザイン ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」がはじまる。ウィリアム・モリスの《いちご泥棒》をはじめ、テキスタイル、家具、書物、工芸品、宝飾品など168点が並ぶという。島根県の案内には、この運動の成り立ちがこう書かれていた。

産業革命により大量生産された粗悪な製品を批判して工業化以前の社会に理想を見出すもので、手仕事の復権や生活と芸術の統合を目指し、仲間との共同により制作を行いました。

——島根県「【島根県立美術館・企画展】168点の作品でたどる「アーツ・アンド・クラフツとデザイン ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで」」より

「生活と芸術の統合」という言い方に、少し立ち止まった。統合という語は硬いけれど、要するに、暮らしの側から美しさを決め直そうとしたということなのだと思う。美しさがどこか別の場所にあって、それを家へ持ち込むのではない。毎日手に取るものが、そのまま美しくあってほしい、と。150年ほど前の人がそれをわざわざ願わなければならなかったということは、その頃すでに、二つは離れかけていたのだろう。

そう考えて、また棚の皿を思い出す。あれはたぶん、美しいと思って買った。けれど暮らしの側から選んだのではなかった。展示室の名前だけを見ていた時期の自分が選んだもので、朝ごはんの卓に置く自分は、そこにいなかった。

白露の朝に窓を拭きながら、今日は一枚だけ棚から下ろして使ってみようと思っている。露が白く見えるのは、光の当たり方が変わったからで、露そのものが変わったわけではない。家のものも、たぶんそうなのだ。見る角度が変われば、ずっとそこにあったものが、急に目に入る。まだ何も決まっていないけれど、今朝はその一枚を洗うところから始めてみる。

開催情報

参考リンク:島根県立美術館 企画展ページ島根県 プレスリリース

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