美を独り占めしないということ|サントリー美術館「蕪村・呉春と茶の湯の名品」

うちには、しばらく人に貸したままの本が何冊かある。返してほしいと催促したことはあまりない。むしろ、自分の本棚から離れて誰かの手のなかにある時間のほうが、その本にとって幸せなのではないかと思うことがある。器も同じで、来客のときに使ってもらった湯呑みが、しばらくその人の家の食器棚に居着いてしまうことも珍しくない。

そういう小さな「貸し借り」を重ねながら暮らしていると、ものを持つことと、ものを独り占めしないことは、実は矛盾しないのだと気づく。持っているからこそ、手放せる。むしろ、しまい込んで誰の目にも触れさせないことのほうが、ものにとっては不自由なことなのかもしれない。

そんなことを考えていたときに、サントリー美術館の秋の展覧会の紹介文に出会った。逸翁美術館の創設者・小林一三のコレクションについて書かれた一文である。

人々と美を分かち合う姿勢に貫かれた5,500件におよぶコレクションは、逸翁の多方面での豊かな業績と進取の気風に富む人間性を反映し、古筆切、茶道具から与謝蕪村・呉春の絵画に至るまで実に多岐にわたります。

——サントリー美術館公式サイト「概要」ページより https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2026_3/index.html

「分かち合う姿勢に貫かれた」という言葉に、しばらく目が止まった。5,500件という数字の大きさよりも、その集め方の向きのほうに惹かれる。集めることは、しまい込むこととイコールではない。むしろ集めることの先に、開くという行為が最初から組み込まれていたのだと思うと、コレクションという言葉の印象が少し変わる。

小林一三は阪急東宝グループを一代で築いた実業家だが、蒐集した美を独り占めせず、昭和32年に美術館という形にして人々へ返した。個人の持ち物が、いつのまにか公共のものになっている。この順番が美しいと思っていた。まず公開ありきではなく、まず愛でることがあって、その先に開くという選択が置かれている。

自分の暮らしに引き寄せるにはあまりに規模の違う話だけれど、本を貸すことも、器を使ってもらうことも、根っこは同じ場所にあるのかもしれない。ものを愛でる時間と、それを誰かと分かち合う時間は、対立するものではなく、地続きのところにある。

今度、誰かに何かを貸すときは、少しだけ小林一三のことを思い出しながら、気持ちよく手放してみようと思う。

【開催情報】
展覧会名:逸翁美術館コレクション 蕪村・呉春と茶の湯の名品
会期:2026年9月16日(水)~11月8日(日)
会場:サントリー美術館(東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3F)
出典:サントリー美術館公式サイト

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