境目は、布一枚でできている|芹沢銈介ののれん(『民藝』7月号特集)

夏の終わりの数週間は、家じゅうの窓を開け放って風を通すことが増える。玄関には涼しげな麻ののれんを掛けていることがあり、来客があるとまず目に入るのはその布の揺れ方だ。台所とリビングの間にも、湯気や匂いを軽くやわらげるための布を吊るしていることがある。

のれんは、遮る布というよりも、風や光や気配を少しだけ通す布だと思っていた。夏の間、その存在をほとんど意識せずに暮らしてきたけれど、日本民藝協会の機関誌『民藝』7月号(883号)が「芹沢銈介ののれん」という特集を組んでいると知り、ふだん素通りしていたこの布に、あらためて目を向けることになった。

型絵染の人間国宝として知られる芹沢銈介は、着物や帯、屏風、絵本など幅広い仕事を残した染色家だが、のれんの仕事にも独自の表現を刻んでいる。この号では、芹沢の仕事から影響を受けた山内武志さんや石北有美さんといった、今ものれんを染めている作り手の仕事も紹介されている。時代を超えて、同じ一枚の布をめぐる仕事が続いていることを知った。公式サイトには、こう記されている。

日本でのれんを初めて商品として販売したのは、芹沢の作品であると言われています。

——日本民藝協会『民藝』7月号(883号)「芹沢銈介ののれん」特集より https://www.nihon-mingeikyoukai.jp/info/mag2607/

この一文を読んで、のれんが単なる目隠しの道具ではなく、ひとつの商品として世に出されたことの意味を考えた。それまで暖簾は、家や店の内と外を分ける実用の布として、ある種当たり前に存在していたのだろう。それが「作品」として、そして「商品」として差し出されたとき、布は単なる仕切りから、誰かが選び取って暮らしに迎え入れるものへと変わったのではないか。同じ布が、日々の道具のままでいることも、誰かの手によって選び取られる存在になることもある。その境目がどこにあるのか、まだうまく言葉にできずにいる。

のれんの向こうとこちらは、完全に分かれているわけではない。光は透け、風は通り、人の気配もうっすらと伝わる。内と外、公と私、俗と聖——そうした境目を隔てながらも、断ち切ってはいない布。そこに立つたび、私たちは無意識のうちに、少しだけ声を落としたり、姿勢を正したりしているのかもしれない。そう考えると、のれんは境界そのものというより、境界に近づいたときの心の構えを促す装置のようにも見えてくる。まだこの見方の途中にいて、うまく言葉にしきれていない部分も多いけれど。

そう思うと、今掛けている一枚の布にも、少しだけ違う目を向けたくなる。派手な柄でなくても、素材や丈、掛ける場所を選ぶだけで、部屋の空気の切り替わり方は変わる。夏の終わりに風を通しながら、来年はどんなのれんを選ぼうかと、静かに考えている。一枚の布を選ぶことも、暮らしの余白のつくり方のひとつなのだと思う。

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