満月でなくても|倉敷市立美術館「月を観る」

満月でなければ、月見と呼んではいけない気がしていた。

子どもの頃、十五夜には必ず丸い月が出るものだと思い込んでいた。大人になって、満月と十五夜が同じ日とは限らないと知ったときは、少し裏切られたような気持ちになった記憶がある。窓から見える月は、思い返せばいつも少しだけ欠けていた気がする。

2026年9月20日、5日後の25日が今年の中秋の名月にあたるらしい。けれど満月はそこから2日ずれて、9月27日だという。今年もまた、名月の夜に見上げる月は、輪郭のどこかが足りない。

そんな話を思い出したのは、倉敷市立美術館の池田遙邨コーナーで「月を観る」という小さな展示が始まると知ったからだ。中秋の名月にちなみ、遙邨が描いた月のある風景を紹介する企画だという。案内文を読んでいて、目に留まった一文があった。

王道の「名月」とは一味違う、「遙邨の月」を観に来ませんか。

——倉敷市立美術館「池田遙邨コーナー展示『月を観る』」より
https://www.city.kurashiki.okayama.jp/kcam/exhibition/1011819/1026636.html

「王道ではない月」という言い方に、なぜか安堵した。満月の写真のような、教科書どおりの名月ではなく、遙邨自身が夜景の中に見つけた光。それでいいのだと、誰かに言ってもらえた気がしたのだ。

思えば、暮らしの中の型どおりでなくていいことは、月に限らない。丁寧な暮らしといえば、朝から掃除機をかけて花を飾ることだと思い込んでいたし、予定通りに物事が進む日こそが良い一日だと信じていた時期もあった。けれど実際に心に残っているのは、たいてい少し欠けた日々の方だ。予定が崩れた日の夕方に見た空の色や、掃除を途中でやめて窓辺に座った時間の方が、後になってなぜか思い出される。型を守ることよりも、型からはみ出した瞬間の方が、暮らしの記憶には残るらしい。

型どおりでない月を、型どおりでないまま愛でる。そのくらいの余白を、今年の十五夜には持っていたい。満月ではない夜を、欠けた夜として片づけるのではなく、その日にしか見えない光として受け取ってみる。それだけで、月を見上げる時間が少し柔らかくなる気がする。

9月25日の夜、満月ではない月を見上げながら、遙邨が描いた「一味違う月」のことを思い出すつもりだ。丸くなくても、月は月として、そこにある。

展示は2026年9月15日(火)から11月15日(日)まで、倉敷市立美術館3階の池田遙邨コーナーにて開催される。観覧料は無料、開館時間は午前9時から午後5時15分まで。休館日は月曜日(9月21日・10月12日は開館)、9月24日(木)、10月13日(火)。詳細は倉敷市立美術館公式サイトを参照のこと。
https://www.city.kurashiki.okayama.jp/kcam/exhibition/1011819/1026636.html

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