民藝は、古いものだと思っていた|吉田璋也のデザイン(岐阜県現代陶芸美術館)

夏のあいだ、器のことばかり考えていた。

食器棚を開けると、白い皿ばかりが重なっている。安くて割れにくくて、何にでも合う。困ったことは一度もない。それでもこの棚をもう少し好きになりたくて、骨董市の日程を調べたり、古い皿の写真を眺めたりする時間が、この夏は増えた。

暮らしを整えるというのは、どこかにある良いものを見つけてくることだと、いつのまにか思い込んでいたのだと思う。美しいものはすでにどこかで完成していて、私はそれを探しにいく側なのだと。

そんなときに、岐阜県現代陶芸美術館で「吉田璋也のデザイン-新作民藝運動がめざした未来」という展覧会が開かれていることを知った。名前を聞いたことのない人だった。県の発表資料には、こう書かれていた。

医師でありながら、職人が作る実用的な工芸品に美を見出した民藝の思想に影響を受け、自ら民藝のプロデューサーとして活躍した人物です。

——岐阜県「特別展「吉田璋也のデザイン-新作民藝運動がめざした未来」を開催します」より(報道発表資料

引っかかったのは、展覧会名にある「新作民藝」という言葉のほうだった。

民藝という言葉を、私はずっと過去形で受け取っていた。名もない職人が昔つくったものの中に美しさを見出す運動、という理解でとまっていた。見出すというのは見る側の仕事で、つくるほうはもう終わった誰かの役目だと。

けれど吉田璋也は、見つけるだけの人ではなかったらしい。鳥取の職人たちと組んで、今の暮らしに合う日用品を新しくつくった側の人だった。プロデューサー、という現代の言葉が資料に並んでいるのが、そのことを端的に示している。しかも本業は医師である。工芸の世界の内側から出てきた人ではない。

そう考えてみると、私が探していた「良いもの」は、どれも誰かがその時代の今のためにつくったものだった。骨董市に並ぶ皿も、つくられた日には新品だった。誰かの今日の食卓のために、寸法や重さを決めた人がいる。私が古いという理由で美しいと思っていたものは、古かったから美しいのではなく、その日の暮らしに合わせて考え抜かれていたから、時間を越えて残ったのではないか。

探しにいくという姿勢が悪いわけではない。ただそればかりだと、美しいものはいつも自分の外側にあって、自分の暮らしはそれを受け取る場所でしかなくなる。今つくられているものを、まだ古びていないという理由だけで、静かに後回しにしていた気もする。

白い皿を手放す気はない。骨董市に行くのもやめない。ただ、棚をどうにかしたいと思ったときに、古いものを探す前に、今つくっている人のことを思い出してみたい。今日の献立の重さや大きさに合うものを、いま誰かが考えている。その一枚を迎えるところから、この棚は変わりはじめる気がしている。

開催情報

特別展「吉田璋也のデザイン-新作民藝運動がめざした未来」
会期:2026年7月11日(土)〜9月27日(日)
休館日:月曜日(ただし7月20日、9月21日は開館)、7月21日(火)、9月24日(木)
開館時間:10:00〜18:00(最終入館17:30)
会場:岐阜県現代陶芸美術館 ギャラリーI(岐阜県多治見市東町4-2-5)
観覧料:一般1,200円、大学生1,000円、高校生以下無料
主催:岐阜県現代陶芸美術館、NHK岐阜放送局、NHKエンタープライズ中部/共催:中日新聞社/特別協力:鳥取民藝美術館

関連催事として、9月6日(日)14:00〜に学芸員によるギャラリートーク(聴講無料・要観覧券・事前申込不要)、9月12日(土)14:00〜15:30に対談「わたしたちの民藝とデザイン」(聴講無料・要観覧券・要事前申込)が予定されている。8月22日(土)・23日(日)は館内にキッズルームを設ける「こどもむかデー」。

参考:岐阜県 報道発表「特別展「吉田璋也のデザイン-新作民藝運動がめざした未来」を開催します」岐阜県現代陶芸美術館

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